一部の科学哲学の著作では作者が新しい論理体系を詳細に述べて、この科学的方法で論証を望んでいる。
自然界の法則をすでに発見され、解明されたものとして規定する人がいる。単純化を望む気持ちから来る自信満々な口ぶりであれ、職業柄からの気取った言い方であれ、哲学及び科学に大きな損害を与えることに変わりはない。このようなやり方は、人々の信頼を得ることができる一方、人々の議論を抑え、止めさせることもできる。他人の努力を破壊?遮断することの弊害は、彼ら自身の努力で得た利益より多いのだ。
一方、真逆の方法を取り、あらゆる物事は不可解だと断言する人々もいる。このような見解は古代詭弁家への憎悪から来たのか、または心の彷徨いか、もしくは学問への専念から来たかもしれぬ。これは理性の知識への要求を高めており、軽蔑してはならぬ所である。だが、彼らは真の原則から出発したわけでもなく、正しい結論にも辿れず、情熱と意地がまた彼らを遠ざけているのである。
私は彼らがイベリア船員のように、立派な帆と共にあることを祈る。逝去した偉大な魂が北アフリカの偉大な巨岩に乗り、セウタで足を止めて西を眺めていることを祈る。次世代は海を越えて行き、不可能な試練を乗り越え、新しい科学世界を切り開くだろう……
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北アフリカの偉大なる巨岩 | 北アフリカの岬 |
足を止めて西を眺める | セウタの西側に位置する |